
先日何気なく流し見していたSNSで、この文章を見つけました。
「愛された犬は来世で風となり あなたの日々を何度も撫でる」
木下龍也さんという方が作った短歌だそうです。
これを読んだとき私は(電車の中だったのですが)我慢できず泣いてしまいました。
そういう形でそばにいてくれているのかもしれない。
「そっか、その可能性もあるんだな」と、私の中で「生まれ変わる」の意味が大きく広がった瞬間でもありました。
大事な家族であるペットを亡くしたとき、私たちは願います。
「また生まれてきて、うちの子になってね」と。
もちろんそうなったら素晴らしいし、それはきっとそうなるでしょう。
だけどそれだけじゃない。その短歌は、さらに広い世界を見せてくれました。
優しく頬をなでる風。
木々を揺らす葉音。
あたたかな木漏れ日。
雨上がりの澄んだ空。
足元で私たちを支えてくれる大地。
もし、あの子がそんな自然の一部になっているとしたら。
毎日、こんなにも会えていることになります。
飼い主を癒そうと、あの子は一生懸命考えてなんとか風になり、優しく頬を撫でてくれているのかもしれない。

ペットロスになると、「もう一度会いたい」という気持ちが胸を締めつけます。
私もそうでした。
もう一度抱きしめて、撫でてあげたい。
もう一度名前を呼んで振り向いてほしい。
その思いは、簡単には消えません。
でも「会う」という形は、ひとつではないのかもしれません。
風が吹いたとき、揺れる木漏れ日を足元に見ながら歩くとき、小さな花が咲いたとき。
それはもしかしたら、再会なのかもしれない。
もちろん、本当にそうなのかは誰にもわかりません。
でも、そうだったらいいなと思う。
あるいは次の子に生まれ変わる前の時間を、そうやって風になって、飼い主のそばにいてくれているのかもしれない。
気持ちが少しでもあたたかく、軽くなるほうが、きっと正解だと思います。
だからそんな考え方なら、信じてみてもいいのではないでしょうか。
世界は、あの子がいなくなって色を失った場所ではなく、
あの子が、今もいろいろな姿で寄り添ってくれる場所なのかもしれない。
そう思うのです。
もし今日、気持ちのいい風が吹いたなら。
立ち止まって感じてみてください。
その風は、あなたを安心させようとしているあの小さな家族かもしれません。
姿は見えなくなっても、愛は形を変えながら、これからもずっとあなたのそばにあり続ける。
私は、この短歌からそんなことを教えてもらいました。